カーチス・ルメイ 東京大空襲 原爆投下 朝鮮戦争 キューバ危機 ベトナム戦争

現職アメリカ大統領として初の広島訪問を果たしたオバマ大統領。George Wallace (ジョージ・ウォレス)の再来と揶揄されているドナルド・トランプ。今日はそのウォレスの副大統領候補だった Curtis Emerson LeMay (カーチス・エマーソン・ルメイ) (Nov 15, 1906 – Oct 1, 1990)の話です。ルメイは第二次世界大戦末期、日本に対する戦略爆撃の指揮を執り、一般市民に対する爆撃を指示したいわくつきの人物です。カーチス・ルメイの功罪は日本とアメリカで意見が分かれるのは当然なのですが、アメリカでは戦略爆撃の基礎を築いた偉大な先駆者として賞賛されています。その一方で彼の行った非戦闘員を標的にした carpet bombing (絨毯爆撃)は、未だに多くの人々からその有効性や人道的な観点から疑問視されています。日本はと言うと、ルメイは第二次大戦後の航空自衛隊創設とその育成の功績により、1964年12月7日に日本政府から勲一等旭日大綬章を入間基地で授与されています。ルメイの叙勲については今でも賛否両論があるようで、大戦中の日本の主要都市への非人道的な firebombing (焼夷弾攻撃)を考えれば、例え戦後に日本に対する貢献があったとしても、受け入れられない日本人がいても不思議でも何でもないでしょう。

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東京大空襲、原爆投下、朝鮮戦争

東京大空襲、広島と長崎への原爆投下という忌まわしい過去が、未だに多くの日本人の心の中で燻っているのではないでしょうか。ルメイの指揮の下、女性や子供を含む数十万人の非戦闘員が犠牲になったのです(ルメイについては前回も書いている) 。中国を侵略し真珠湾奇襲攻撃をした日本が文句を言える立場か、という外国人が多いのも確かです。全ての日本人が、自分達の先祖が大戦中に行ったであろう、非人道的蛮行の数々を同時に非難・反省すべきなのは言うまでもありません。ルメイ自身は、焼夷弾攻撃が終戦を早めたと自負している一方で、トルーマンの原爆投下指令には懐疑的だったようです。それを示唆する言葉を彼は戦後残しています。American Military Leaders Urge President Truman not to Drop the Atomic Bomb

LeMay: The war would have been over in two weeks without the Russians entering and without the atomic bomb.

The Press: You mean that, sir? Without the Russians and the atomic bomb?

. . .

LeMay: The atomic bomb had nothing to do with the end of the war at all.

ルメイはソ連参戦と原爆投下が無くても2週間以内で終わっていたと言っていて、原爆投下が日本の降伏とは一切何の関係も無かったことを強調しています。

ルメイは第二次世界大戦後も、朝鮮戦争でSAC (Strategic Air Command)司令官として北朝鮮に対する戦略爆撃の指揮を執りました。ルメイは北朝鮮への原爆投下を提案したという説もあります(Curtis LeMay)。マッカーサがトルーマンに執拗に満州と北朝鮮の国境地帯への原爆投下を要求して解任されたことを考えると、ルメイの立ち位置もマッカサーと同じだったと考えるべきなのかもしれません。戦後ルメイはこんな台詞を残しています。The U.S. war crime North Korea won’t forget

“Over a period of three years or so, we killed off — what — 20 percent of the population,” Air Force Gen. Curtis LeMay, head of the Strategic Air Command during the Korean War, told the Office of Air Force History in 1984.

3 年間の戦争で、米空軍の絨毯爆撃により朝鮮半島で人口の20%に当たる朝鮮人が犠牲になったみたいです。何とも痛ましいことです。太平洋戦争以上に酷い戦 争だとは聞いていましたが、想像以上の激戦だったようです。朝鮮戦争特需の恩恵で、日本経済が完全復活の狼煙を上げることができたことを考えると、日本人と して色々と複雑なものがあります。

キューバ危機、JFKとの関係

1961年1月20日、第二次大戦の大英雄でもあった Dwight D. Eisenhower (ドワイト・D・アイゼンハワー)がホワイトハウスを去り、その後任として弱冠43歳のJohn F. Kennedy(ジョン・F・ケネディ)が第35代アメリカ大統領に就任した。連合国遠征軍最高司令官のアイゼンハワーから、小型艇の船長に過ぎなかったケネディへのバトンタッチは、ペンタゴンの幹部連中には相当な衝撃だったらしい。その中でも特にルメイとJFKの仲は相当険悪であったらしく、彼に対しては未だにかなりきな臭い噂が囁かれているほどなのです。ルメイはソビエトに対する先制核攻撃を主張していたのですが、ケネディはこの考えには当然のことながら猛反対で、米ソによる全面核戦争になるぐらいなら、ソ連に占領された方がましという考え方だったという話もあるほどです(JFK vs. the Military)。ルメイはソ連に先制攻撃すればアメリカは無傷でソ連を滅ぼせると信じていたみたいですが、少なくとも日本とヨーロッパが無傷では済まなかった事だけは確かです。キューバ危機の時、アメリカはキューバとソ連に対する先制攻撃一歩手前だったらしく、もし全面核戦争になっていれば、ソ連の核ミサイルの射程内だった日本は壊滅的な打撃を受け、今生きている日本人のほとんどがこの世に存在すらしていなかったはずです(Cuban missile crisis: how the US played Russian roulette with nuclear war)。そういった意味でも、日本人はケネディ大統領にはどれだけ感謝しても感謝しきれないのかもしれません。そのケネディ大統領の娘が現駐日アメリカ大使ということを考えると感慨深いものがあります。

ベトナム戦争

ベトナム戦争に対するルメイの考えを端的に示す彼の発言があります。
Curtis LeMay – Wikiquote

My solution to the problem would be to tell [the North Vietnamese Communists] frankly that they’ve got to draw in their horns and stop their aggression or we’re going to bomb them into the Stone Age. And we would shove them back into the Stone Age with Air power or Naval power—not with ground forces.

ルメイはベトナム問題の解決策として、北ベトナムに対して、自制して敵対行為を止めるか、さもなければ石器時代のような不毛地帯になるまで爆撃すると警告すべきで、地上軍を派遣するのではなく、空と海からの爆撃・砲撃により北ベトナムを荒野にすべきと主張しています。

日本と朝鮮での反省が全く無いどころか、ことこの期に及んでも一般市民への絨毯爆撃を主張しているところが、ルメイらしいと言えばルメイらしいのかもしれません。ルメイの提唱した戦略爆撃理論は、相手が降伏するまで無差別絨毯爆撃を繰り返すという非常にシンプルなものだったのですが、それは自軍の損害を少しでも減らすためには仕方のない行為なのかもしれませんが、人道的には許されるべき行為では到底ありません。とは言っても、勝てば官軍、負ければ賊軍である以上は、戦争は勝たなければ意味がなく、勝つためには手段を選ばないという選択も、時として許されると錯覚してしまうのかもしれません。自分達が絶対的な正義だと信念を持っていれば、なおさらそういう傾向が強くなるはずです。

1968年大統領選挙

ニュース記事を読み漁っていたら、Curtis LeMay (カーチス・ルメイ)が1968年のアメリカ大統領選挙でサード・パーティーから出馬していた George Wallace (ジョージ・ウォレス)の副大統領候補になっていたことが書いてありました。これは知らなかったので非常に意外でした。ウォレスと言えば、生粋の segregationist (人種分離主義者)で、いわゆる、Dixiecrat (アメリカ南部の民主党離反派の党員)でした。ウォレスは第三党から出馬したにもかかわらず、南部5州で勝利し(ルイジアナ、アーカンソー、ミシシッピ、アラバマ、ジョージア)、electoral college (選挙人) votes において、45+1の46 electoral votes (選挙人投票)を獲得したのです。ウォレスは今現在、第三党出馬者で州を勝ち得ることのできた最後の大統領候補者となっています。1992年のRoss Perot (ロス・ペロー)は、ウォレス以上のpopular votes (一般投票)を獲得したのですが、1州も勝つことが出来ませんでした。ただ、ウォレスにとってルメイを大統領候補に据えたことは致命的だったとも言われており、特に、ルメイの核兵器の使用に関するルーズさや(ベトナムでの核使用を言及)、一般市民への絨毯爆撃の推奨(北ベトナムに対する)などが有権者から忌避されたとも言われています。1968年の大統領選挙以降、ルメイはNational Geographic Society (米国地理学協会)の trustee (理事)として活動していたみたいです(Gen. Curtis Lemay Addresses Webber College Graduates)。

参考サイトThe Campaign Rhetoric of George Wallace
参考サイトGeorge Wallace presidential campaign, 1968

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