戦後復興:明日のジョーの世界観と矢吹丈の人生観

明日のジョーの連載が始まったのが、1967年12月でした。1964年に開催された東京オリンピックから3年後で、この頃の日本は奇跡の戦後復興を果たし、1965年11月から始まったいざなぎ景気により、1968年には西ドイツを抜いて、世界第2位の経済大国にまで登り詰めたのです。私が初めて明日のジョーを目にしたのが、小学生低学年の頃にやっていた再放送で、かなりの衝撃を受けたのを今でもはっきりと覚えています。当時は東京の下町に住んでいたので、余計にジョーに親近感が湧いたのかもしれません。泪橋も何度か行ったり通ったりしたことがありましたが、その時は、「あー、ここがジョーの住んでる泪橋かー」と子供心によく思ったものです。1970年代でしたが、世界第二位の経済大国とは言え、日本がまだまだ貧しい時代で、牛肉が高級品、海外旅行が夢のまた夢、8mmビデオカメラや普通のカメラが子供には高嶺の花の、今からでは到底想像もつかないとても原始的な時代でした。

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明日のジョーの世界観

明日のジョーが舞台となる東京の下町はかなり貧しい印象を受けますが、あの頃の下町はどこもあんな感じでした。貧しいながらにも下町人情に厚いので、非常に住みやすい土地柄であるのも事実です。子供時代は隣近所の人達には多大な迷惑をかけましたが、子供だからという事で大目に見てもらえ、それが甘えとなっていたずらがエスカレートする事も多々ありましたが、今となっては良い思い出です。あの頃の下町には子供は隣近所で育てるという意識がかなり強くあったような気がします。クラスメートがやっている店で買い物したり、飲み食いしたり、逆におまけしてもらったり、ご馳走になったりと、そんな持ちつ持たれつの関係だったような気がします。下町から新興住宅地に引っ越してからは、下町の人情味が非常に懐かしく思え、失った物の大きさを痛感させられました。明日のジョーはそんな下町人情を土台に書かれていると言っても過言ではなく、ジョーがその人情味に大泣きするシーンがその事を如実に物語っているのではないでしょうか。孤児だったジョーが下町で出会った人々を通して心身共に成長していき、失っていた人間らしさを取り戻すと同時に、世界チャンピオンを目指すという展開になっていて、かなり見応えのある内容に仕上がっています。社会の最底辺から両腕だけで世界へ登り詰めていくという、そのギャップもさることながら、ジョーを取り巻く恋愛事情にも悲哀さが漂い、巨人の星に通じる物があるかと思います(原作者が一緒なので当たり前なのですが)。そういう意味では、スポ根アニメの王道を見事なまでに踏襲しています。ジョーの立身出世が、当時の日本の高度経済成長に通じるものがあったのも確かで、そのことが物語に重みを与えているとも言えます。日本の敗北=ジョーが段平に敗北、その敗北相手に助けられながら、最後には世界2位まで登り詰めるところまで全く一緒です。

矢吹丈の生き方

矢吹丈の生き方には当時の貧しかった子供達はかなり共感していました。明日のジョーを見てボクサーを目指した子供も多かったはずです。実際にジムに通った同級生もいた程です。当時としては、そういう生き方に憧れる日本人が多かったのは、サラリーマンという平凡な生き方に対するantithesis (アンチテーゼ)とも言え、武道館での世界タイトルマッチ直前の、白木財閥の娘婿か世界チャンピオンかという、ジョーに突き付けられた究極の選択肢こそが、多くの子供達に夢を与えたのです。当時の友達と議論をした時に、何で楽な方に流れなかったのかという意見が多かった中で、背負っているものがあまりにも重過ぎたという意見もあり、ウフル金串、力石徹、カーロス・リベラの事を考えた場合、自分だけ幸せな道を選ぶ事が出来なかったジョーの儚さが、この漫画にどうしょうもない絶望感を与えてしまっている感も否めません。economic animal と揶揄されていた日本人に対して、金よりも大切な物があるという事を教えているようにも思えます。ジョーが物質的豊かさとは無縁な存在という事や、マンモス西の平凡ながら堅実な生き方に対してジョーが披露宴で見せた軽蔑的な態度は、かつての戦友が安定した生活に落ち着いてしまっている事への嫌悪感の現れであると同時に、そういう生き方をできない自分へのもどかしさの現れでもあるのかもしれません。

Rocky Joe, Tomorrow’s Joe

明日のジョーは、rocky Joe, Tomorrow’s Joeとして海外でも多少人気があるような感じを受けます。しかし、実際にググって見ると、そんなに人気はなさそうなのですが、それなりに知名度はあるみたいな気もします。はじめの一歩に似ているなんていう意見もあります。明日のジョーはもっと海外で評価されてもいいと思うのですが、やはり全体的に暗いトーンが受けないのかもしれません。happy ending (ハッピーエンド)を好むアメリカ人は特に受け入れられないのかもしれません。明日のジョーは、子供の夢であり、男のロマンであり、日本を代表する古典的スポ根漫画の一つであるばかりでなく、日本人が失ってしまった人生の美学を思い出させてくれる作品でもあります。ジョーにはハングリー精神はありません。ジョーにあるのはドラゴンボールの孫悟空と同じ、強い相手と戦いたいという、男の原始的本能だけです。そこがまた、ジョーの人間的魅力の一つになってもいます。

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