日本人に無い創造性はどこからやってくるのか?

昔から日本人は創造性に著しく欠けた、猿真似しかできない劣等民族のような言われ方をしてきましたが、日本人に決定的に欠けている独創性というか創造性はどこからやって来るのか、これが今一番の問題になっています。創作力や独創力が今後の日本経済には必要不可欠だからです。日本人の画一性に問題があるのは明らかです。

私自身もオリジナリティゼロですが、戦後の1億総画一化教育の被害者とも言えます。今は1億総貧困化政策の犠牲者ですが、それは置いておくとして、日本の学校教育が生徒の独創性を抑圧してきたことは厳然たる事実です。

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必要は発明の母

Where Creativity Comes From

Creativity has enabled humans to conquer every corner of this planet. Indeed our yen for innovation is one of the most salient characteristics of our kind. Yet our species is not the only one given to inventiveness. Researchers have documented the capacity in a growing number of other creatures. And some of their findings run counter to received wisdom about the origins of creativity and how to foster it in human minds.

「クリエイティビティは、人間がこの惑星の隅々まで征服することを可能にしてきました。実際に、我々の技術革新への熱望は、最も顕著な人間の特徴の1つです。にもかかわらず、人間だけが発明癖があるわけではありません。研究者は、ますます多くの他の生き物において、その能力を実証しています。また、発見の一部は、創造性の起源とそれがどうやって人間の心に根付いたかについての一般に容認された知識に矛盾しています。」

惑星のあらゆる場所と言っても、地底、海底や未開の地などまでは征服できていないし、それに微生物は征服できていません。細菌やウィルス等の微生物の攻撃で毎年夥しい数の犠牲者が発生しています。多くの人間がいつ微生物の犠牲になってもおかしくない現状で、惑星を征服したとはとても言えません。人間は所詮、自然の猛威の前には無力だし、地球がその気になれば一瞬で絶滅させられるでしょう。

創造性がいかに生まれるかについては意見が別れるところです。創造性は神に与えられたのか、猿がある日突然思い付いたのか、あるいは、人間は宇宙のどっかからやってきた地球外生命体だったのかは、よく分かっていません。

The old adage about inventiveness, of course, is that it stems from necessity.

「発明のついての古い格言は、もちろん、発明が必要から生じています。」

必要は発明の母ですが、必要に迫られても発明できない人間が99.9999%です。本当に極一握りの天才達が文明を作り出しています。

“When food is scarce, orangutans go into energy-saving mode. They minimize movement and focus on unappealing fall-back foods,” he observed. Their strategy in this scenario is quite the opposite of innovation, but it makes sense. “Trying something new can be risky—you can get injured or poisoned—and it requires a serious investment of time, energy and attention, while the outcome is always uncertain,”

「食糧不足の時に、オランウータンは省エネモードに入ります。彼等は動きを最小化し、魅力のない予備の食料に集中します。このシナリオにおける彼等の戦略は、技術革新とは完全に逆のものですが、道理にはかなっています。”何か新しいことを試みることはリスクを伴う場合があります、例えば、あなたは怪我をするか食中毒になる可能性があり、膨大な時間、エネルギーと注意の投資を必要としますし、その一方で結果はいつも不透明です。”」

オランウータンがバナナの栽培を始めるとは思いませんが、餌不足の時に体力の消耗を防いだり、予備の餌を食べるようにするのは、ある意味多くの人間より賢いとも言えます。人間も食料不足だからと食料を自給自足する人間は少ないし、多くが犯罪に走ったり、他者から施しを受けたり、食べ残しを漁ったり、所詮はそんなもんです。

People will do whatever it takes to survive, of course, which may occasionally lead to innovations. But as these and other studies suggest, if one’s mind is constantly occupied with urgent problems, such as finding food or shelter or paying bills, there will not be much capacity left to come up with long-term solutions to better one’s livelihood.

「人間は生き残るためには、もちろん、何でもします、そしてそれが時々技術革新を引き起こしたりします。しかし、これらや他の研究が示唆しているように、もし人間の心が、例えば、食料もしくは避難所探し、あるいは請求書の支払いのような緊急の問題に絶えず煩わされていたら、暮らしを良くするための長期的な解決法を思い付くために必要な知的能力は、ほとんど残されていないでしょう。」

その日暮らしの人間に独創性を求めるのは無理があり過ぎます。創造性や独創性がある人間はそういう状況に陥らないからです。長期的な解決法なんて思い付くわけがありません。長期的な視点に立って物事を考えられる人間は、その日暮らしには絶対になりません。などと言い出す人間もいるでしょうが、どんな人間にでも、ある日突然不幸が襲う可能性はあります。打たれ弱い人間は意外と脆いもので、エリートほど一旦転落すると、どん底まで転落して行ってしまうものです。一寸先は闇ということです。

創造性はどこからやってくる?

So where does creativity come from? Insights have come from the surprising observation that orangutans can be incredibly creative in captivity. “If food is provided for and predators are absent, they suddenly have a lot of time on their hands, free from such distractions,”

「創造性はどこからやってくるのか?洞察は、オランウータンが飼育状態だと、信じられないほど創造的になりうる、驚くべき観察結果によってもたらされました。”もし食料が与えられ捕食者がいなければ、オランウータンは、そのような気を散らすものから解放され、急に時間を持て余すようになります。”」

暇を持て余した人間がクリエイティブにはまずなりません。ほとんどの場合が、小人閑居して不善をなすです。クリエイティブな人間は生まれつきクリエイティブな人間で、それは生まれつき脚が速いのと全く同じです。

Furthermore, in their highly controlled environments, exploration rarely has unpleasant consequences, and there are many unusual objects to play around with. Under such circumstances, orangutans appear to lose their usual fear of the unknown.

「さらに、飼育下のオランウータンの高度に管理された環境において、探検はめったに不愉快な結果には帰しませんし、多くの珍しい遊具が存在します。そのような状況下では、オランウータンは、未知に対する通常の恐怖心を失っているように見えます。」

人間に飼いならされた動物が、警戒心や未知の物体に対する恐怖心を喪失しているのは、ペットを見ても良く分かります。野生の動物は警戒心が強いし、人間が近寄っただけで逃げてしまいます。見慣れない物体に近付くことは稀でしょう。そう言った意味で、未知な物に対する恐怖心の欠如は、イノベーションの第一歩と言えます。機会が発明の母だとここでは言っています。機会を与えられた動物はクリエイティブになりうるからです。

好奇心が創造性の母?

様々な鳥と、さらにブチハイエナの研究で、新しいことを探求したがる固体が最も革新的なことを示唆しているので、好奇心が人間においても創造性の原動力になりうるかのテストを、子供を使って実験した結果、望みどおりの結果を得られなかったらしく、何度か実験は行われているようですが、明確な答えは出ていないようです。

Attempts to find out which personal characteristics might explain differences among children in their ability to solve the task have so far been largely inconclusive,

「どの個人的特徴が、タスクを解決する彼等の能力における、子供達の間の違いを説明するのかを解明する試みは、大部分は結論に達していません。」

“Only age and vocabulary size are predictive. One possibility is that above a certain level of intelligence, variation in innovation is mostly due to external factors, and it is useless to look for child innovators. We’ll see.”

「年齢と語彙サイズだけが予測的です。1つの可能性は、一定水準の知能を超えると、イノベーションのばらつきはたいていは外部要因が原因で、子供のイノベーターを探し出しても意味がありません。そのうち分かります。」

子供は所詮子供で、子供の革新的発明家が存在しないように、創造性は年齢と伴に育まれていくもので、持って生まれた才も重要ですが、革新性は外的要因で培うことができるので、子供の創造性を伸ばしつつ、その創造性を限界まで引き出す教育がもっと重要な意味を持ってきます。創造性は飽くなき探究心から生まれ、その探究心は好奇心から生まれ、その好奇心は知識への欲求から生まれ、知識の欲求は持って生まれた個人の特徴と言えるのかもしれません。

社会が天才を育む

“I think the idea that innovation depends on individual geniuses is misguided. History shows that inventions invariably build on earlier findings that are recombined and improved upon. Most of the things we use every day are inventions that no single human being could ever design within her lifetime,” he observes. “Rather than the product of individual innovators, these inventions can be thought of as the product of our societies. Innovations rely on individuals learning from others—in that way, human society functions like a collective brain.”

「”私は、革新性が個人の才能に依るという考えは見当違いだと思っています。歴史は発明がいつも組み換えと改良を重ねたそれ以前の研究成果を足場にしていることを示しています。私達が普段使っている物のほとんどが、誰もその一生のうちに絶対に設計できません。”と彼は意見を述べています。”個人の革新者の成果というより、むしろこれらの発明は我々の社会の成果と考えられます。技術革新は他の人達から学んだ個人を頼りにしています。そういう意味では、人間社会は集団脳のように機能しています。”」

collective farmで集団農場(コルホーズ)なので、collective brainなら集団脳でいいかと。他にも集合脳、集合的な脳、集団的な脳とも訳せます。

確かに20歳未満の子供が偉大な発明家になれないように、あるいはある程度の年齢にならないとノーベル賞級の天才になれないように、人は誰かに教わり、過去の研究成果を参考にすることなしには何もできません。1人の天才など存在しないということです。天才は作られるものであって自然発生はしないとも言えます。優秀な恩師に恵まれたり、優秀なライバル、優秀な両親、兄弟姉妹、親族、何れにしても、出会いに恵まれなければ天才は生まれません。全ては運次第とも言えます。偶然は発明の父と言われるように、偶然の積み重ねが偉大な発明につながるとも言えるかもしれません。

And to an important extent, individual intelligence measures such as IQ may be a product of this exchange of knowledge with other members of society,

「かなりの程度まで、IQのような個人の知能尺度は、この、社会の他のメンバーとの知識交換の成果である可能性があります。」

to an extent = ある程度、to some extent = ある程度、to a certain extent = 多少、ある程度は、to a large extent = 大体において、大幅に、かなりの程度まで、to a small extent = 少しばかり、to significant degree = かなりの程度、to a considerable degree = かなりの程度まで、相当程度、かなり

IQテストは小学校入学時にやらされたが、要は、知的障害かどうかを測るテストで、特殊学級か普通学級かを振り分けるために行われていたみたいです。本当にそうであるなら、知能指数別にクラス分けすべきです。知能の高い者同士が交流した方が知識交換が進むし、お互いに切磋琢磨してレベルのさらなる向上が図れます。というような事を言う人がいますが、エリート同士が徒党を組むとろくな事にならないのは、過去の世界史が嫌というほど教えてくれています。何事もバランスが大事だということです。

“In this way, sociality may be the mother of invention as well as intelligence: the size and interconnectedness of society, enabling us to connect and share more ideas,”

「この点で、社会性が、知能と同様に発明の母であるかもしれません。社会の大きさと相関性が、我々をつなげてもっと多くの知識を共有させます。」

社会のサイズと相関性が大きいほど、そこに住む人間同士の結びつきが強まり、知識の共有がさらに進みます。社会の規律が高い程、知能も高まります。治安が悪ければ知識の共有どころの騒ぎではないし、住民の民度や質が下がれば、得られる知識の質も当然下がります。日本人の民度と質の向上が、日本が技術立国としてこの先生きのこるためには欠かせません。生涯学習というか、人間は学習を止めた瞬間に人間ではなくなります。赤ん坊が学習をしなければ人間にはなれません。人間の形をした何か別の生き物になってしまいます。人間が人間で在り続けるためには学習し続けるしかありません。という意見も稀にありますが、人間はどのような人間であっても人間です。知能、性別、人種、運動能力、容姿、身体的特徴、健康度で人間を差別することは許されません。全ての人間は平等であるべきです。

リスク軽減が創造性を生む

“By reducing the risk, a social safety net may stimulate innovation.”

「リスクを軽減する事で、社会的な安全体制が革新を刺激するかもしれません。」

発明家が研究に没頭できるように、発明に失敗して露頭に迷うことがないように、万全なセーフティーネットが完備される必要があるみたいです。努力が報われる社会作りは非常に大切なことです。例え失敗したとしても、努力は認められるべきで、能力がある人が、能力をフルに発揮できる社会が今の日本には要求されています。

crowdfundingなんかもありますが、内部留保をしこたま溜め込んでいる日本企業は、個人研究家や発明家に対して資金援助しても罰は当たらないでしょう。研究テーマを審査して、価値があると思ったら資金援助を与えるみたいなシステムがあれば、ダイヤの原石の発掘にもなるし、人材育成にもなるはずです。

バブル崩壊以降、日本人はリスクを極端に嫌うようになり、そんな社会風潮の中、敢えてリスクを負って有益なことに挑戦して露頭に迷った人達を自己責任と切り捨て、働いたら負けな風潮まで作り出し、結婚して子供を儲けることまでもがリスクと化した、異常な社会を生み出してしまいました。No risk, no return. と言われているように、創造性を生み出すためのリスクを許容できない社会は終わってます。

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