リベラルメディアは何故フェイクニュースメディアに成り下がったのか?

その買うを、もっとハッピーに。|ハピタス

トランプ氏は自分だけの真実が真実と信じ切っていると、多くの人々が氏を批判しています。トランプ氏が本気でそれが真実と信じているのか、嘘も百回言えば真実になるを実践しているのかどうかは分かりませんが、自分が真実と見なしたものだけが真実と思い込むことは、トランプ氏が体現したpost-truth politics (大衆迎合政治)において、氏の勝利によって市民権を得たとも言われています。大衆を扇動するためには真実は必要なく、誇張と虚言を繰り返す事で、それがmeme(ミーム)になって、大衆の心を掴むということのようですが、実際は、リベラルメディアがトランプ氏の語る真実を嘘と決め付けているだけです。

post-truth(嘘も真実)な世界では真実は意味を持たない
”alternative facts、alt-facts(もう1つの事実)やalternative-truth、alt-truth(もう1つの真実)”は、昨今、政治的な意味合いでニュースになってきていますが、精神科医達は、既にそのコンセプトを熟知しています。というのも、ほぼ毎日のように患者達によって発言されているさまざまな形態のもう一つの事実を耳にしているからです。全ての人間が、ほぼ毎日のように日々の生活の中で、実際の現実なのか思い込みの現実なのかを区別する必要があり、ほとんどの人が全くの妄想と見なす主張や意見にどう対処すべきかが課題になっています。
スポンサーリンク

自分だけの真実

自分の過去は自分だけしか知らないとは言っても、実際には、本人さえもほとんど正確には自分の過去を覚えていません。なので、人の過去における真実は、ほとんどのケースで、その人の都合のいいように書き換えられていると言ってもいいでしょう。その人の過去を知る人間が出てきたとしても、その人間が言っていることが真実だという保証も証拠も何もないのが現実です。ビデオテープがあれば話は別ですが、バイデン氏のように、例えビデオテープがあったとしても、ビデオは真実を伝えていないと否定することができてしまいます。何が真実かは誰にも分かりません。今真実だと思われていることも、明日には真実ではなかったと判明することもあるし、真実とは、結局は、人の信仰でしかないのかもしれません。何を信じるかは、自由主義社会においては、その本人の自由だということです。真実はいつも1つと、眼鏡をかけた世間知らずの小僧がしたり顔で言っていますが、必ずしもそうとも限りません。

スポンサーリンク

真実はどうでもいい

裁判は勝てばいいと良く言われます。つまり、真実なんかどうでもいいという事です。その人が実際にその犯罪を起こしたかどうかは、その人にしか分からないので、裁判は真実を暴くために存在するのではなく、何が真実かを決めるために存在しています。冤罪が存在することが、その最たる証拠と言えるかもしれません。冤罪とは逆に、有罪なのに無罪放免になる人もいるかもしれません。冤罪のヒーローと揶揄されている小野悦男がそのいい例かもしれません。リベラルメディアも真実はどうでもいい、トランプさえ悪者にできれば嘘も方便と思っている節があります。実際、リベラルメディアは、平気で嘘のニュース(fake news)をトランプ氏を叩くために垂れ流しています。その報道には真実の欠片も存在していません。しかし、トランプ氏もメディアは嘘しか言わないと、フェイクニュースメディアに対して断固として抵抗しています。唯一の救いは、ほとんどのトランプ支持者が、メディアのトランプ批判は全て嘘八百のでっちあげで、トランプ氏が言う事が100%正しいと、リベラルメディアのデマ報道を意に介していないことです。

伝統に盲従する前に、その裏に隠された真実を知る
社会的な伝統というか習慣というか、そう言った類のものは言い出しっぺが必ずいて、その言い出しっぺの真の狙いを知る必要があるらしいです。企業や学...

真実なんかどうでもいいというのは、何が真実かは人によって違うし、地球の温暖化を信じている人間にとっては、温暖化は科学的な真実であり、全く信じていない人間にとっては、ただのジャンクサイエンス、もしくは、再生可能エネルギービジネス絡みの詐欺であると一蹴しています。真実は過大評価され過ぎで、真実なんかに拘るのは馬鹿と言う人達もいます。昨今流行りの Fake News を見れば、真実は都合のいいように作り上げることができるし、それは科学的な研究にも当てはまることで、研究をしている人間の政治思想、信仰、その研究を資金援助している個人や団体の思惑、そういった要素が、研究結果を大きく左右しているとも批判されています。人間がやる事に真実はないとも言えてしまうかもしれませんが、世の中には、物欲、金銭欲、俗物根性に汚染されることなく、真実のみを追求する人達も存在しているので、そういったtruth seekerにとっては、住みにくい世の中になってしまっています。

スポンサーリンク

真実は1つとは限らない

結論としては真実は1つとは限らないということです。そして、何が真実かを知る人間は少ないか、全くいないということです。個人的な真実なら、真実を知る人間は、あくまでも本人か、それを目の当たりにした人間だけです。しかし、それですら、本当に真実かどうかは、本人や当事者にさえ曖昧な場合があります。脳が勝手に記憶を書き換えてしまうことがあるからです。おっさんや年寄りが、やたら昔を懐かしがって、昔は良かったと過去を美化するのは、そのせいだとも言われています。脳が勝手に個人の都合の良い過去を作り上げているということみたいです。しかしながら、昔の方が良かったというのは、私個人が断言できますが、厳然たる真実です。何故なら、今の日本よりも45年前の日本の方がはるかに若かったからです。

post-truth(嘘も真実)な世界では真実は意味を持たない
”alternative facts、alt-facts(もう1つの事実)やalternative-truth、alt-truth(もう1つの真実)”は、昨今、政治的な意味合いでニュースになってきていますが、精神科医達は、既にそのコンセプトを熟知しています。というのも、ほぼ毎日のように患者達によって発言されているさまざまな形態のもう一つの事実を耳にしているからです。全ての人間が、ほぼ毎日のように日々の生活の中で、実際の現実なのか思い込みの現実なのかを区別する必要があり、ほとんどの人が全くの妄想と見なす主張や意見にどう対処すべきかが課題になっています。

リベラルメディアのように、トランプ氏は嘘しか言わない、自分達だけが常に真実を語っていると言い続けていれば、例えば、トランプ氏が真実を語るだけ無駄と思っても仕方ないことだと思われます。メディアが自分達に都合の良い真実を作り出す事は、学歴ロンダ、思い出ロンダ、職歴ロンダ、武勇伝ロンダのように、昔から行われていますが、post-truth worldでは、そういうことをするジャーナリストが増える可能性があると危惧されています。トランプ氏憎しで、ジャーナリストとしてのモラルが完全に崩壊してしまっている今のアメリカメディアの行く先は、悲惨な末路しか待っていないように思われます。

スポンサーリンク
スポンサーリンク