there is something to be said forの意味・用法

イディオム、There’s something to be said for both ways.を直訳すれば、どちらの側にも語られるべきものが存在するとなる。換言すれば、双方に一理ある(利点がある)といったような意味合いになる。

There’s something to be said for it.なら、そのことには語られるべきものがある、それには利点があると言い換えることができる。There’s something to be said for ~ = ~には利点がある、一理ある。

It is not my job to police the language of others. This probably explains why I didn’t remark on her comment, showing the disapproval that I felt her response deserved. However, there is something to be said for the overall “dumbing down” of language with respect to campus culture in general. This is not about being right or wrong, but about taking language within a fixed medium and applying it to a different environment — one where it might not belong.

Our generation’s lapses in language

他者の言葉遣いを取り締まるのは私の責務ではない。このことが、彼女のどうかと思われた返答に難色を示しながら、私が、彼女の発言に意見しなかった理由になるかもしれない。しかし、キャンパス文化全般に対する言葉のレベルの全体的な低下には何らかの利点がある。このことは、正しいとか間違っているとかということではなく、固定媒体内の言葉を持ち出して、それを異なる環境(不適切であるかもしれない場)に適用するということだ。

授業中の生徒同士の会話の中で、ある生徒が、retweet(リツイート)と答えたことに対して、他の生徒が全く驚きを見せなかったことが前文で述べられている。この記事の著者は、授業中に、リツイートなるSNSのスラングを持ち込むのは良くないと嘆いている。大学における言葉のレベルの低下の利点とは、正しいか誤りであるかに関係なく、言葉の異文化交流のことで、ツイッター文化の言葉を、キャンパス文化に持ち込むことを指している。しかし、この著者は、文化が言葉に悪影響を与えるのを好ましく思っていない。

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