He that can heroically endure adversity will bear prosperity with equal greatness of soul; for the mind that cannot be dejected by the former is not likely to be transported by the latter.
逆境に耐え抜くことができる人は、強靭な精神に見合う成功を手にするが、逆境に打ちひしがれる者は成功の喜びに浸るのは難しい。
transported byは、~によって運ばれる、連れて行かれる以外にも ~に夢中(有頂天)になる、うっとりするや歓喜するといった意味も有しています。上記の場合は、直訳すれば、成功で我を忘れそうにないといった意味合いになりますが、成功の喜びを得るのは難しいといった程度に訳すのが無難だろうと思われます。オンライン版ロングマン現代英英辞典によると、transportを含むイディオムに以下のようなものがあります。
in a transport of = in transports of = ~で我を忘れる, ~でいっぱいである
be in a transport of delight / joy = うれしさに我を忘れている, 喜びでいっぱいである
be transported with delight / joy = うれしくて我を忘れている, 喜びでいっぱいである
昔、『何故か笑助』という漫画に、僻地に転勤させられた元エリートが、「逆境を経験した人間だけが人に優しくなれる」みたいな事を言っていたのが思い出されるのですが、これは、逆境を経験した全ての人間が他者に対して優しくなれるというわけではなく、逆境を経験しなければ人には優しくなれないということを言っています。世の中には、自分が経験した辛い思いを、他人にも経験させたいというサディスティックな人間も存在するからです。
辛い運動は人の筋肉を強化し、辛い経験は人の精神を強化してくれます。しかし、あまりにも過酷な運動が筋肉を破壊してしまうように、あまりにも過酷な経験は人の精神を破壊してしまいます。従って、どこまでの逆境が許容範囲であるのかは、人によって尺度が変わってくるのですが、当然、考慮されなければなりません。例えば、子供の貧困は子供の心に一生消えない傷を残すと言われているように、幼少期の過酷な苦労は、精神的に問題があるということになります。
逆境に耐えられる強靭な精神力があれば、人生で成功するのは当たり前とも言えるのですが、成功の尺度も問題になってきます。今の世の中であれば、平凡に生きられれば人生成功と言えてしまうからです。ここで言うところの平凡な生活とは、定職に就いていて、庭付き車庫付き一戸建ての我が家に帰れば、妻と子供達が出迎えてくれて、数数回家族で海外・国内旅行を楽しむことで、金融資産を億単位で保有しているといった成功の類ではありません。今の日本は平凡に生きるのも難しくなってしまっています。