He that builds by the wayside has many masters.
直訳すれば、沿道に何かを建てる人間は、多くの教師を持つですが、この格言の趣旨は、目立つところに家やビルなどを建てたり、何か目立つことをしたり、人目を引きやすい物事は、周囲からいらぬ関心を集めることによって、人々からあれやこれやと余計なお節介を焼かれるものだということを言っています。この名言にはさまざまなバリエーションがあって、教師の部分が、批評家、鑑定士、監視者、忠告者に変わっています。
He who builds by the wayside has many masters,
He who builds along the road has many masters.
He that builds by the wayside has many advisers.
Whoever builds along the road has many masters.
He who builds by the wayside will have many critics.
The man who builds by the wayside has many judges,
He who builds by the road has many surveyors.
He who builds by the wayside will have many critics.
He who builds on the roadside has many critics.
交通や人の行き来が激しい街道沿いに建っている家があって、そこから薔薇等の危険な植物の枝が歩道にはみ出していれば、通行人から苦情を入れられる可能性もありますし、常に通行人の目を気にする必要があります。人通りの多い街道沿いに家を建てると、ちょっとしたことで、歩道を歩く歩行者達から、いらぬ説教をされたりもするかもしれません。この格言は、家を建てるなら、人目が気にならない閑静な場所に建てた方が良いということを言っていると思ったとしても、決して間違いではありません。
I know quite well how much skill, hard work, sense and brains are needed for a good translation. They know it even less than the miller’s donkey, for they have never tried it. It is said, “He who builds along the road has many masters.” That is how it is with me also. Those who have never been able to speak properly (to say nothing of translating) have all at once become my masters and I must be their pupil. If I were to have asked them how to turn into German the first two words of Matthew, Liber Generationis, not one of them would have been able to say Quack! And now they judge my whole work!
私は、どのくらいのスキル、労力、判断力、知力が、良質の翻訳のために必要とされるのかをよく理解しています。彼らは、そのことを、粉屋のロバよりも知りません。何故なら、彼らは、一度も翻訳などしたことがないからです。”人目を引くことをするとうるさいのが寄ってくる”と言われているが、それがまさに今の私のことでもある。(翻訳は言うまでもなく)まともに話すことさえままならない連中が、いっせいに私の先生になり、私は彼らの生徒であることを求められる。もし、私が、彼らに、マタイによる福音書の最初の二文字、Liber Generationisをドイツ語に訳すよう尋ねたとしても、1人としてクワーと言うことさえできなかったことだろう。今や、そんな彼らが、私の全翻訳を審査している!
Liber Generationisはラテン語で、The genealogy of Jesus Christ(イエス・キリストの系図)を意味します。
say Quackのくだりは、難しすぎて何の(クワという)言葉も出ないということを言っていて、アヒルの鳴き声がクワックワッなのか、グワッグワッなのか、ガーガーなのかは分かりませんが、ぐうの音も出ないぐらいに思えば良いかもしれません。
確かに英文和訳は難しいですし、プロでも誤訳をするのに、ド素人がしないわけがありません。しかしながら、ずぶのド素人が、プロの翻訳者にドヤ顔で教師面するのもどうかとは思います。人の翻訳を批評するなら、それなりの資格と技術が必要だろうということを、1530年に書かれたルター牧師の“Open Letter on Translation” (Sendbrief vom Dolmetschen)が声高に訴えてくれています。スポーツ観戦でも、例えば、ワールドカップの試合を見ている時に、サッカー経験ゼロの無職のド素人が、年収億単位のプロ選手に対して、あーだこーだ言っているのは、傍で見ていて非常に滑稽だし、かなり見苦しいものがあります。1つ言えることは、自分が絶対で一番正しいとは思わないことです。