70年代80年代の暴力教師は半端なかったがあくまでも特殊例だった

小中高の12年間で、殴られた教師の数は、せいぜい5人程度だろう。小学校6年間で、3人の教師から3回のビンタ、中学の時は、部活の顧問を除けば、2人の教師から2回ビンタ、高校時代は運動部の部長をやっていたが、顧問からでさえも一度も殴られたことはなかった。中学時代の部活の顧問の体罰を除けば、12年間で、覚えている範囲で、5人の教師から5回ビンタされたことだけだ。問題は、部活の顧問の体罰で、これは限度をはるかに逸脱していた。

中学時代の部活の顧問からは、余裕のよっちゃんで、1000回以上ボコられてる。ビンタとパンチと蹴りは当たり前で、竹刀や木刀でも殴打された。木刀で頭を殴られた時は、死ぬかと思うくらいの衝撃で、メチャクチャでかいコブができたのを、今でも鮮明に覚えている。佐山サトル道場のように、顧問から竹刀で滅多打ちにされ、体中アザだらけにもされたが、骨折を一度もしたことがなかったのは、やはり、顧問の温情だったのだろうか。

一番酷い体罰を、中1の体育祭の全体練習前に受けた。全校生徒と全教師が見守る中、校庭のど真ん中で、5分近くフルボッコにされ、最初は往復ビンタを50発くらい喰らい、徐々に顧問にエンジンが掛かりだし、パーがグーに変わり、さらに蹴りまで飛び始めたので、パンチやケリをよけ始めると、顧問が「よけるなゴルァー!○すぞ!!」とマジギレし、顧問の怒りの飛び蹴りがモロに腹に入り、腹を抱えながら悶え苦しむと、そこに情け容赦のない蹴りの嵐、「立てコラー!」と言われるままに立ち上がると、往復ビンタの嵐、顧問が殴り疲れて、「今日はこれくらいにしといてやる」と引き上げると、担任が思い出したように「○○!大丈夫か?」と慌てて駆け寄って来た時は、さすがに、もっと早く出て来いよと心の中で思ったものだ。

しかし、全校生徒と全教師の合わせて1000人以上が、雁首揃えて、理不尽な顧問の体罰を見て見ぬふりしたことだけは、さすがに悲しかった。校長を筆頭に、教頭、教務主任、学年主任や担任たちは、何故、あのような常軌を逸した体罰を黙認したのか、1000人も生徒がいて、何故誰も止めに入らなかったのか、当時は納得いかなかったが、その後、顧問から、「俺にあれだけ殴られて泣かなかったのはお前が初めてだ」と言われた時は、結構嬉しかったし、先輩連中やクラスメートたちから「あれだけボコられて何ともないとかどんだけタフなんだよ」と言われた時も、「俺じゃなければ死んでた」と、冗談交じりに自分のタフさを誇っていた。

もちろん、空手の有段者の顧問が本気で殴れば、タダでは済まなかっただろうし、ある程度加減をしているのは分かってはいた。腹にケリがモロに入った時は死ぬかと思ったが、内臓破裂したわけでもなく、かなり手加減しているのは確かだ。確かにかなり痛かったが、鼓膜が破れたわけでもないし、口の中を切るわけでもなし、鼻血すら出ずじまいで、顔が思いっきりパンパンに腫れ上がった以外は、特に実害もなかったので、不幸中の幸いとも言える。

1つ言えることは、中学の時に部活さえ入らなければ、これだけ理不尽な酷い体罰を受けることはなかったということだ。体育祭の全校練習前に受けたあの体罰は、伝説的な体罰と言っても過言ではないだろう。実際、事件後、かなりの間、学校中で語られていたのは事実だ。

各学校にいる数人の暴力教師を除けば、ほとんど全ての教師は温厚な教師だったし、高校時代に至っては、自分の部活の顧問は、生徒に大怪我をさせて新聞沙汰になったぐらいの暴力教師ではあったのだが、自分に対しては、本当に温厚で、常に兄貴のような存在だった。

一昔前は、中学校で校内暴力の嵐が吹き荒れ、一部の屈強な教師達が、それこそ命がけで不良グループを鎮圧一掃、その影響で、しばらくの間は教師の体罰が問題になっていたが、そのおかげで、中学にイジメがなかった(少なくとも自分の周りではなかった)ことで、多くの生徒が救われたのも事実だろう。イジメも体罰も、あってはならないことは言うまでもない。

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