1944年6月5日時点で、怒涛の勢いのソ連軍は、クリミア半島から枢軸軍を完全に駆逐し、ドイツ南方軍集団をソ連・ルーマニア国境地帯まで追い払い、北方群集団をロシア領内から駆逐中で、一部の独軍部隊はエストニア領内へ押し戻され、さらに、独北方軍集団の最後の砦であったプスコフを巡って激しい攻防戦が展開されていた。6月6日の連合軍による史上最大の作戦が失敗に終わっていたとしても、独ソ戦3周年記念日の6月22日に行われたソ連軍のバグラチオン作戦(総兵員160万人、戦車5800輌、航空機5300機、火砲33000門)によって、ドイツ中央軍集団(総員85万人、戦車495輌、航空機602機、火砲2500門)は木っ端微塵に粉砕されていたことは疑う余地がない。ノルマンディー上陸作戦が失敗した場合、独ソ戦終結は、恐らく、9月〜10月まで確実に長引いていただろうが、ソ連軍が単独でドイツ全土を蹂躙していたシナリオになっていたはずである。ドイツ全土をソ連軍が単独統治することでドイツの東西分断はなかったことになる。フランスやベネルクス三国に関しては、米英を中心とした連合軍が解放することになるので、ソ連軍がこれらの国々に侵攻することは多分なっかただろうと思われるが、ギリシャに対する処遇に関しては、史実通りにはいかなかった可能性がある。
ソ連の対日参戦が無かったとしても、日本は8月中に降伏せざるを得なかったと思われるので、独ソ戦よりも日米戦が先に終結していた場合、その後の歴史が大きく変わることになる。北方領土は日本に帰属していただろうし、南サハリンは、アメリカの直轄統治になっていたかもしれない。というのも、ソ連が南サハリンの引き渡しを要求してもアメリカは拒否していたと思われるからである。一番重要なのは、朝鮮半島が南北に分断されなかったことで。そうなると、朝鮮戦争もなければ朝鮮特需もなかったことになるので、警察予備隊(自衛隊)も創設されることはなかったし、日本の復興は大幅に遅れていたと思われるが、その後の中国とソ連の極東での動きが全く読めないので、この辺のIFの歴史は想像するのが非常に困難である。何れにしても、オーバーロード作戦が失敗した場合(ドラグーン作戦は史実通りに成功していた)、日ソ間での戦争は無かったことだけは確実に言えるだろう(日ソ中立条約が継続されている状態で日本がソ連を除く連合軍に無条件降伏するということ)。