synchronicity(シンクロニシティ)は、同時発生、共時性という意味ですが、精神科医で心理療法家のCarl Jung(カール・ユング)によって提唱された定義においては、当然、心理学的、あるいは超心理学的な意味合いが含まれています。
例えば、夢で見た事が現実に起これば、それをシンクロニシティと言うらしく、その夢の事を日本ではprophetic dream(予知夢、正夢)と言うようです。
deja vu(デジャヴ、既視体験)とはちょっと違うみたいなのですが、precognition(予知)とは相通ずる物があるようです。The Guardianのサイトに面白い記事があるので、それを参考にさせてもらって話を進めてみたいと思います。
シンクロニシティとは?
Carl Jung, part 6: Synchronicity
“a coincidence in time of two or more causally unrelated events which have the same or similar meaning”
「同じまたは似た意味を持つ2つ以上の因果関係のない出来事が時間内に同時発生」
全くの赤の他人から街中で突然声をかけられ、その人間が昔仲が良かった友達に似ていて、立ち振舞までもが旧友にそっくりだった場合、それがシンクロニシティらしいです。突然見知らぬ人間から声をかけられたイベントと、その見知らぬ人間が旧友に瓜二つという事を思い出すイベントの、二つの因果関係の無いイベントが時を違えずに同時発生し、なおかつ、2つのイベントが似通った意味を持っているからで、朝の9時に、堂々と声をかけてきた相手の大胆なその行為が、今は亡き旧友のやりそうな事で、それが共時性というやつのようです。
声をかけた相手が、本当の旧友だった場合は、旧友に声を掛けられた事になるので、ただの懐かしい偶然の再会になるのではないでしょうか。何故なら、旧友が声をかけたのは偶然ではないからです。旧友が偶然声をかけたとしても、偶然性が乏しいのは確かです。
But they raise a question: is the relationship between the events random or is some hidden force actively at work?
「しかし、それらは、イベント間の関係はランダムなのか、あるいは、何らかの隠された力が活発に働いているのか?という問題を提起しています。」
シンクロニシティのイベント間の関係が、ただの偶然なのか、神の見えざる力が働いているのかは、それを経験した人間の感じ方次第なんですが、ただの偶然派はそのイベントに大きな意味を見出さないし、超自然現象派は神の啓示のように感じるかもしれません。
旧友に似た見知らぬ人間に街中で突然声を掛けられたのがただの偶然なら、その人間の誘いには乗らないだろうし、逆に、天啓のように感じれば、その不審人物の誘いに乗ってしまう可能性があります。旧友に似ているので親近感が湧いても仕方ありません。
個人的な経験だと、留学中に偶然モールで出会った日本人留学生が、自分の高校の後輩(出身校が同じ)だと分かった時は、かなりビビったというか、まさにIt’s a small world. 状態だった事を覚えています。偶然にしては出来過ぎていると感じました。
ウーヌス・ムンドゥス
Jung and Pauli conjectured that they were dealing with a link between the apparently disparate realities of matter and mind. Jung objected to the dualism implied by suggesting these two aspects are distinct kinds of stuff, and so sought a unitary dimension beneath the dualism. In this, he is far from unusual: philosophers and mystics alike have discerned what Jung called the unus mundus or unitary world.
「ユングとパウリは彼等が、物質と精神という明らかに本質的に異なる実体の間の因果関係を扱っていると憶測していました。ユングは、これら2つのアスペクトがはっきりと区別できる種類のものだと示唆する事でほのめかされている二元論に異議を唱えいていたので、二元論の下に一元論を見出そうとしていました。これにおいては、ユングも決して例外的ではありませんでした。なぜなら、哲学者と神秘主義者は一様に、ユングがウーヌスムンドゥス、あるいは、一なる世界と呼んだ物を認めていたからです。」
ウーヌスムンドゥスはmonism(一元論)とは違うみたいなのですが、デュアリズム(dualism、二元論)とも明らかに違います。二元論と一元論の意味と違いを調べてみました。
一元論
一元論、百科事典マイペディアの解説
世界の個々の事象,または全体の根源にただ一つの究極的実在(原理)を認める哲学上の立場。C.ウォルフによって創始された用語で,二元論,多元論に対して用いられる。哲学史上では万有の〈一者〉からの流出を説くプロティノス,〈産む自然〉としての一なる神を立てるスピノザ,同一哲学の提唱者シェリング,形而上学的進化論者E.ヘッケルらが代表者。
世界大百科事典 第2版の解説
世界と人生との多様な現象をその側面ないし全体に関して,ただ一つの(ギリシア語のモノスmonos)根源すなわち原理ないし実在から統一的に解明し説明しようとする立場。単元論singularismとも呼ばれ,二つおよびそれ以上の原理ないし実在を認める二元論・多元論に対立する。哲学用語としては近世の成立であり,C.ウォルフが初めてただ一つの種類の実体を想定する哲学者のことを一元論者と呼んだ。すなわち,いっさいを精神に還元する唯心論,物質に還元する唯物論,精神と物質とをともにその現象形態とする第三者に還元する広義の同一哲学などは,すべて一元論に属する。
哲学的には、唯物論と同義なようなので、無神論的なのかもしれません。
二元論
二元論、世界大百科事典 第2版の解説
一般に,根本的な実在を相対立する二つのものとして説く立場をいい,多元論の一種として一元論に対立する。原語は,イギリスの東洋学者ハイドThomas Hydeが《古代ペルシア人の宗教の歴史》(1700)で,善の原理と悪の原理とが永久に対立する宗教体系をこの言葉で呼んだことに始まる。その後はもっぱら宗教に関する用語としてP.ベールの《歴史批評事典》(第2版,1702)の〈ゾロアスター〉の項目,さらにライプニッツの《弁神論》第2部(1710)に受け継がれた。
大辞林 第三版の解説
〘哲〙 物事を相対立する二つの原理または要素に基づいてとらえる立場。神話や宇宙論における光と闇,陰と陽,哲学における形相と質料,現象と本体,宗教や道徳における善と悪,など多くの思想領域に見いだされる。西洋近代では,精神と物体を二実体ととらえるデカルトの物心二元論ないしは心身二元論が近代哲学を特徴づける枠組みを与えている。
一元論が無神論的なのに対し、二元論は宗教的です。両者の違いは、神の存在を信じるか信じないかの違いのようです。DNAが偶然できたのか、誰かが作ったのか、evolutionism(進化論)とcreationism(創造論)の違いと一緒です。DNAが偶然できるなんていう事はまず有り得ないので、創造主がいると考えるのが妥当と言えるのではないでしょうか。世の中全てを偶然で片付けるにはあまりにも不自然な事が多過ぎるし、それを偶然ではなく仕組まれた、あるいは意図された物(事)だと言うと、何故かtinfoil hat(電波)扱いされるのは、全く合点がいきません。偶然も2度以上続けば必然なので、偶然が偶然でない可能性もあるのです。
偶然の一致か必然か
How, then, to decide whether random things happen that are then interpreted as meaningful, or whether things happen that are not only meaningful but can’t be mere coincidence? Pauli and Jung mulled over the distinction. Miller reports that Pauli inclined to the former view, Jung the latter. However, both agreed that evidence won’t resolve the difference because meaningful coincidences can’t be studied statistically.
「だとすれば、その後に意味ありげとして解釈される事がランダムに起こるのか、あるいはそうではなくて、意味深なだけではなく、単なる偶然の一致に過ぎないはずがない事が起きるのかをどのようにして決めるのでしょうか?パウリとユングは両者の違いをあれやこれやと考えました。ミラーは、パウリが前者の見解で、ユングが後者を推している事を報告しています。しかし、両者共に、意味のある偶然の一致は統計的には検証できないので、論証がその違いを説明しないだろうということには意見が一致しました。」
whether A or whether Bで、AなのかあるいはBなのかという意味合いになります。
前者の例として、パウリがラボにいると機器が故障するケースが多々ある事に気付いた後で、パウリの存在とラボの機器の故障には何らかの因果関係があるのではないかと思い、その事象を観察しようとしても、その現象はランダムに起こるので、観察には意味がないと言っています。不可思議な偶然の一致の積み重ねが、後になって本当にただの偶然の一致なのか?と人々の興味を引く一方で、実際には、明らかに意味ありげでただの偶然の一致のはずがない出来事が起きているのに、人々がただ単に気付かないだけなのか?この両者の違いは区別が非常に困難です。パウリがいると機器が故障する現象が2度3度起きれば、それはもはや偶然の一致ではなく必然です。とは言っても、それが毎回必ず起きるかどうかは分からないので、必然とも決して言えなくなり、だからと言って、両者の間には全く何の因果関係がないとも決して言い切れません。パウリとラボの機器の故障のケースは、非常に難しい問題です。
統計による検証では証明できない不思議な事象もあるという事で、それをただの偶然の一致として捉えるか、あるいは、何らかの力が働いているかは、あくまでも個人の主観でしかありません。シンクロニシティが起きていてもその時にはその重要性には気付かないで、後になって気づく場合もあります。逆にその場で直ぐにシンクロニシティと気付く場合もあります。どちらのケースもシンクロニシティには違いは無いのですが、両者に違いがあったとしても、その違いを説明することは不可能です。何故ならどちらもランダムに起こる出来事であり、人智をはるかに超えた自然現象(あるいは超常現象)だからです。
偶然乗った電車(偶然乗った車両の偶然乗り込んだドア)で、元カノと偶然再会した場合、それはシンクロニシティであり、運命の出会いでもあります。ただの偶然の一致と片付けてしまうにはあまりにも無理があり過ぎる運命的な再会であると言えます。しかし、ただの偶然である事も否めないので、そんなに深く考える必要もないかもしれません。