food for thought( food for love)の訳を考察する

その買うを、もっとハッピーに。|ハピタス

“Food for thought”には、一般的に「思考の糧」や「考える材料」という訳が与えられていますが、NJ(ニュージャージー州)のFood for Thought Campaignはどう訳せばいいのでしょうか?このキャンペーンは、低所得者層の子供達に学校で食事を無料や安価で提供するというプログラムのことを指し、この場合のthoughtは、気遣いや配慮という意味で、food for loveのことなのかと思ったのですが、実際には、子供達に学校で朝食を提供するプログラムのことを言っていて、低所得者層の子供達だけではなくて高所得者層の子供達もこのプログラムに参加しているそうです。朝食を摂るのと摂らないのとでは、学習効率に大きな違いが生じるとのことです。つまり、この場合のFood for thoughtは、文字通り、思考のための食べ物、もしくは、そのまま思考の糧でいいようです。確かに腹が減っては戦ができないと昔から言われているように、朝食抜きで学校へ行くと、授業中に腹が鳴って恥ずかしい思いをすることが多々あったので、やはり、朝食抜きだと授業に集中できなくなるのかもしれません。朝食をきちんと食べることで、脳にもエネルギーを供給することができます。

記事”Food for Thought Campaign Making A Difference for Kids: Sharp Increase In School Breakfast Participation”の中に、以下のような説明があったので載せておきます。

Many schools already serve breakfast but do so before classes begin — when students may not have arrived to campus. The key, say advocates of the “Breakfast After the Bell” campaign, is to offer meals when students are present.

「多くの学校が既に朝食を提供しているが、生徒達が間に合わない場合があったりするので、授業前に朝食を摂るようにしている。“Breakfast After the Bell”キャンペーンの提唱者が言うには、(キャンペーン成功の)鍵は、生徒達が出席している時に食事を提供することにあります。」

上記の英文中のafter the bellは、本来は金融用語で、株式市場で取引終了時に鳴らすベルのことを指し、たいていの場合、after-hours trading(時間外取引)のことを指して言っています。この場合は、授業の開始のベルのことを指しています。つまり、授業前だと、始業ギリギリに来る生徒達が朝食を食べられないので、始業後の授業前に朝食を摂るということを言っています。

貧しい生徒達のために提供する思いやりの食料であると同時に、授業前に脳に栄養を与える、思考のための糧でもあるこのプログラムは、日本でも取り入れたらどうだろうかと思うのは私だけではないはずです。日本でも子供食堂など、貧困層の子供達のプログラムが存在しますが、行政ももっと積極的に関わった方がいいのではないでしょうか。

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