名言Grief can take care of itselfはどう訳せばいいのか?

その買うを、もっとハッピーに。|ハピタス

Grief can take care of itself, but to get the full value of a joy you must have somebody to divide it with. – Mark Twain (マーク・トウェイン)

wikiの訳は、「悲嘆はひとりでに癒されるが、喜びの真価は他人と分かち合わなければ得られない。」となっていますが、このウィキの訳では、Grief can take care of itselfの訳は、「悲嘆はひとりでに癒される」になっています。

スポンサーリンク
Grief can take care of itselfの訳をググってみると、悲しみは一人でもどうにかなる、深い嘆きは他に必要とするものはない、悲しみは一人で味わえばよいが、泣くときは布団かぶって一人で泣き、悲しみはほっとけばがいいが、悲しみは自然に癒えるのを待てばよいが、苦悩はそれ自体で対応できる、悲嘆はひとりでに癒されるが、かなり多くの訳が見受けられるのですが、この英文を直訳すれば、悲しみは自分の面倒を見れるとなります。つまり、悲しみは放っておいても問題はないという意味を踏まえた上で、自分なりの訳を付ける必要があるということです。そもそも、この名言の肝は、悲しみと喜びを対照的に語っていることであり、すなわち、喜びの感情を他人と分かち合うという意味に対応させるには、悲しみというネガティブな感情の方は、自分一人の胸の内にしまっておく(他人と悲しみは共有しない)という意味を持たせる必要があるということです。

スポンサーリンク
そのことを踏まえると、悲しみは自分の胸の中にしまっておけばいいが、喜びは人と共有しなければ価値がないといった訳にする必要があるということになります。男なら人前で悲しいところを見せるな(女々しく振る舞うな)などといった陳腐なことがよく言われるように、悲しみなんて言うものは、人から同情を買おうとしてひけらかすようなものではなく、本来は、自分の胸の中だけにしまっておくべきものなのです。ただ、こういう言い方をすると、フェミニスト達から、あたかも女性蔑視のように言われるかもしれないので、男女平等がやかましく叫ばれる今の世の中にあっては、女も、悲しみを人前でひけらかすような女々しい振る舞いはやめた方がいいと言うのが、むしろPC的には正論なのかもしれません。

シンドラーのリスト:1人を救う者は世界を救う(タルムード)
1993年に悲願のオスカー作品賞を受賞したSchindler's list(シンドラーのリスト)は、スティーブン・スピルバーグ監督の珠玉の一作となっています。作品終盤に、ベン・キングスレー扮するイザック・シュターンがオスカー・シンドラーに指輪を渡すのですが、その指輪にヘブル語で彫られた言葉、Whoever saves

とは言っても、実際には、ほとんどの人間は、他人の悲しみも喜びもどうでもいいと思っていますし、むしろ、他人の不幸は蜜の味と思っている人達の方が圧倒的に多いかと思われます。例えば、親友から、宝クジ10億当たっちゃった!と喜びを共有されたらどうでしょうか?そんなもん共有されても、嫉妬心以外湧かないだろうし、10億当たったんなら1億ぐらいくれやという話になるはずです。全ての喜びを自分以外の他人と共有すればいいというわけではなく、本当の喜びというものも、悲しみと同じように、自分の胸だけにしまっておくのがいいのかもしれません。

スポンサーリンク
スポンサーリンク