A is to B as C is to D or A is to B what C is to Dの意味・用法

その買うを、もっとハッピーに。|ハピタス

A is to B as (what) C is to D, What C is to D A is to Bは、A:B=C:Dの関係を示す構文で、A:B(AのBに対する関係)の部分が主節でC:Dの部分は従節になります。従って、A:Bの部分がメインになるように訳出する必要があります。この構文は、いわゆる、クジラの構文のように日本特有の受験構文なんだろうと高をくくっていましたが、実際にニュース記事で使われていたので驚かされました。くじらの構文の方も特に日本特有の受験英文法というわけでもなく、米語・英語のネイティブ達はごく普通の構文だと言っているのでさらに驚かされました。

the number of, a number of, numbers of の意味と違い
the number of, a number of, numbers of の意味の違いは結構ややこしいんですよね。The number of ~ = ~の数、a number of ~ = 多数の、numbers of ~ = 多数の、という意味になる事は誰でも知っている事と思いますが、その用法と違いはかなり迷うはずです。
スポンサーリンク

A is to B as (what) C is to Dの意味・用法

Problems are to the mind what exercise is to the muscles, they toughen and make strong. – Norman Vincent Peale(ノーマン・ビンセント・ピール)

ググると上記のような名言が出てきました。問題は精神(頭脳)にとって、筋肉にとっての運動のようなものであり、(人を)鍛えて強くしてくれる。心に響く名言です。

“Communication is to diplomacy as blood is to the human body,” academics Christer Jönsson and Martin Hall noted in a study emphasizing that non-verbal language is as important as what is spoken during diplomatic encounters.

Trump Proves That in Diplomacy, Body Language as Revealing as Words

”意思疎通は外交にとって、人体にとっての血液のようなものです”、と学者の二人が、非言語的な言葉が、外交の場では、話される事と同じくらい重要であることを強調している研究の中で言及しています。

non-verbal languageはbody language(ボディー・ランゲージ)のことです。非言語的な言葉もしくは言葉によらない言語とは、例えば、sign language(手話)のような言語のことで、この場合は、ダボス会議での、トランプ大統領とメイ首相の握手のことを言っています。

A is to B as C is to Dは、AはBにとって、Dに対するCのようなものと訳します。

以下の名言のように、What C is to D A is to Bという形も存在します。

What sunshine is to flowers, smiles are to humanity. These are but trifles, to be sure; but scattered along life’s pathway, the good they do is inconceivable.
– Joseph Addison(ジョゼフ・アディソン)

笑顔は人類にとって、花たちにとっての太陽のようなものです。これらは、確かにとるに足らないものではありますが、人生の道筋に点在していれば、それらがもたらす利益は計り知れない物があります。(折に触れて笑顔に出会うと、人を幸せな気持ちにしてくれます。)

この構文で注意すべき点は、What sunshine is to flowersが従属節であるということです。smiles are to humanityが主節なので、当然、この節に重点を置いて訳す必要が有ります。このサイトによると、この構文には以下のような変則型も存在するようです。
(Just) As C is to D, so A is to B. (so is A to B)
CがDに対するようにそのようにAはBに対する。/ AとBの関係はCとDの関係に等しい。

As lungs are to the body, so parks are to the city.(Parks are to the city as/what lungs are to the body.)
公園は都市にとって体に対する肺のようなものだ。/ 肺が体に欠かせないように公園も都市に欠かせない。/ 公園と都市の関係は肺と体の関係のようなものだ。

この例文でググると、日本語、中国語、韓国語しか出てこないので、完全にアジア圏の受験英語に特化した例文のようです。最後に、A is for B as/what C is for Dについてですが、このサイトによると間違いであると一人の中国人によって指摘されているし、ネイティブ達からもガン無視されている上、検索しても全く引っかからないので使わない方が無難でしょう。1つ気になったのは、米語ネイティブの多くが、この構文でwhatを使うことに違和感を覚えているので、whatを使うのは英語特有の用法なのかもしれません。

anyone, anybody, everyone, everybody, none は単数?複数?
英単語、anyone, anybody, everyone, everybody, none は、third person singular...
スポンサーリンク

クジラの構文

くじら構文をググると、あまり良い評判は聞きませんが、このスレッドでは、それほど評判は悪くないので不思議です。ネイティブ達には、この構文は違和感はないようです。

Both are correct, but #1 is probably more common.

両方共正しいですが、最初の奴の方が、恐らく、より一般的です。

と、A whale is no more a fish than a horse is.が、一般的だと言っています。このスレの中のネイティブ達は、この構文に全く違和感を感じていないし、むしろ、この構文が全く普通の英語であるかのように会話を進めています。つまり、このくじらの構文は、少なくとも、このスレのネイティブ達にとっては、異質な英語でも何でもないということです。この構文は、多くの日本人が思っているほど、異質なものではないのかもしれません。

スポンサーリンク
スポンサーリンク